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王様は裸じゃないか。      指差す子供もちんこ丸出し。


by bbh_x

がんは治りません:番外編(正義はクズであることについて)

さてさて。
なんて優しい人たちだろう

で、正義とはクズである、いやいやクズと呼ばれる正義はもともと正義ではないのだ、と意見が飛び交った。
私は、「クズである正義」も有る、派である。
というか、「正義」はあるが、それは黙している場合のみ正義たりえると考える。

被害者遺族のいわば「劣情」を高みから否定することは、人類の真理から見れば当然正しいことなのだ。
人格高潔で、右のほほを打たれれば左のほほを差し出し、怒りは根本煩悩の三毒であるが故に、いかなる理由があろうとも排除する。

ヒトはみな、そのようなものでアレカシ。


だがしかし。
実際に、犯罪被害にあった人格のある個人と相対した場合、その弱小なる個人に、その「アレカシ」を適用することはどうなのだ?
弱小なる個人を、人類普遍の大儀で押しつぶす、踏みつける、ということだ。
それは果たして正義なのか?
正義であろう。正義は、普遍であるが故に正義なのだから。
だが、そんな正義をクズと呼ばすになんと呼ぶ。



実は、こういう感触は、多くの代替医療や民間療法にすがる患者に対して無慈悲に「正義」を投げつける医師や医師モドキに感じるものと共通する。
彼らの多くは「真理」であるところの医療技術から外れるものに対して唾棄し、嘲笑する。

たしかにそうなのだ。
「正統派」の治療は、正しい。
だが、多くの抗がん剤がわずか対象者の30%程度の改善率(しかも腫瘍縮小=延命と因果関係がない)しかない中で、「捨てられる」残り70%に対しても「真理があるのだから従え」と「正義」を押し付けることを無慈悲といわずになんと言う。
捨てられた「70%」は、「もう治療法はありません」という「真理」を突きつけられるだけではないか。
そんな真理が何になる?

ならば「奇跡の水」でも、「宇宙のエネルギー」でも何でも良いではないか。
そこに介在する(であろう)悪徳業者をゆるさない、という正義をかざす連中もいるが、悪徳業者がいくら儲けようと、死にゆく人間がひと時でも希望を味わえるのなら、それで十分ではないか。


いや、悪徳業者が慈善事業をやってるとは思わない。
連中はクズもクズ、最低の大クズではある。
だが、それを排除することで、全ての希望を個人から奪っておいて、意気揚々としている姿に、ヒトへの視線は感じられない。
ヒトは「生きているから生きている」訳ではないのだ。
by bbh_x | 2008-05-04 21:18