国家は無謬である
2007年 06月 20日
証人却下で「怒り心頭」 冤罪男性が会見 [ 06月20日 16時41分 ]
共同通信
富山の冤罪事件で、男性(40)の有罪を取り消すため、富山地裁高岡支部で開かれた再審の初公判が閉廷し、男性と弁護団が、富山市内で記者会見した。男性は取調官の証人申請が却下されたことに対し「非常に残念で怒り心頭。取調官に、なぜ自分のところに来たのか、真実を隠さずに言ってほしかった。冤罪が晴れたとは思っていない」と述べた。弁護団は「極めて遺憾。明らかに不当な捜査が闇に葬られた」と批判した。
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国家が間違っていたのでは、国家の秩序は保たれない。
ゆえに国家は無謬である。
という考え方がある。
「国家は間違えてはならない」のであって、「間違えない」のではない。
前提は
国家が間違っていたのでは、国家の秩序は保たれない。
ゆえに国家は無謬で「あれかし」。
なのだ。
たまに国家も間違う。ということで国家賠償請求というのが認められている。
そんな簡単なことを、彼らは何故理解できないのだろうか>裁判官
共同通信
富山の冤罪事件で、男性(40)の有罪を取り消すため、富山地裁高岡支部で開かれた再審の初公判が閉廷し、男性と弁護団が、富山市内で記者会見した。男性は取調官の証人申請が却下されたことに対し「非常に残念で怒り心頭。取調官に、なぜ自分のところに来たのか、真実を隠さずに言ってほしかった。冤罪が晴れたとは思っていない」と述べた。弁護団は「極めて遺憾。明らかに不当な捜査が闇に葬られた」と批判した。
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国家が間違っていたのでは、国家の秩序は保たれない。
ゆえに国家は無謬である。
という考え方がある。
「国家は間違えてはならない」のであって、「間違えない」のではない。
前提は
国家が間違っていたのでは、国家の秩序は保たれない。
ゆえに国家は無謬で「あれかし」。
なのだ。
たまに国家も間違う。ということで国家賠償請求というのが認められている。
そんな簡単なことを、彼らは何故理解できないのだろうか>裁判官
by bbh_x
| 2007-06-20 19:00